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有楽館の落成式。1915年(大正4年)
今から100年以上も前、浅草よりも早く歌舞伎を鑑賞できたと言われています。
​二宮繁栄の証。
 
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昭和5年に清香亭と清香荘がオープン。
飲食などを提供したり、当時としては最先端のカフェも常設されていました。(写真左側に文字あり)
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現在の清香亭
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昭和初期の小川の様子。
田んぼで稲作の後に、麦作の準備をしている写真です。
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森田家文書(酒関係の文書)
<時代背景>
 五代将軍徳川綱吉は元禄九年(1696)八月に「飲酒抑制令」を出し、酒による不本意の行動を未然に防止するため、飲酒を慎むことを命じました。
 翌、元禄十年(1697)十月に「酒運上の創設」を行い、酒の価格を五割値上げさせ、その分の利益を運上金(営業税)として幕府に上納させたが、酒の価格が急騰したため、宝永六年(1709)に廃止された。これは、幕府財政を潤すことを主目的としていたが、社会秩序を乱す酒の消費を抑制する意図もあった。
<森田家文書>
 この森田家の文書は、幕府が全国の酒造家から酒の運上金(営業税)を取り立てるため、酒をどのくらい造っているのかの調査に対して、森田家が5年前に遡って回答したものです。
 この文書によると、3年間は親の助右衛門が酒造りを行っていたが当時の帳面がないのでわからず、その後2年間は、酒の量を減らして20石づつ造っていると書かれた文書です。
 この事から、森田家は元禄5年(1692)には、既に酒を造っていたことがわかる貴重な文書です。
 
※20石は、一升瓶で約2,000本分に当たります。
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これは昔、二宮の商店街で作った貴重なすごろくです。
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